日本犬科学研究室-樫原なう-

ZIN 日本犬科学研究室
那智勝浦町色川樫原
TARO 人を犬に問う 自然史・文化史

樫原なう

2021.7/15
山の生活第27日。
Amazonで買った『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』を、柴田翔より一世代前の独文学者 山下肇氏の訳で読み始める。今更ながら。
第1章 聖家族
主人公と共に、山中を遍歴するような気にさせてくれるゲーテの描写力に感謝。



2021.7/14
山の生活第26日。
梅雨明けになるかも、と、
朝、樫原の北端の小麦峠から、果無山系を望む。
雲海もなく、梅雨空だった。



2021.7/13
山の生活第25日。
町の図書館で借りた本の訳者に懐かしい名が有った。
柴田翔。
初刊から10年後の1974年に読んだ『されど、われらが日々』。
丁度学部を終える時、柴田翔の描く青春群像にわが身をなぞらえて、胸騒ぎを禁じ得なかった記憶が鮮烈に蘇った。
恐る恐るスマホで現在の柴田翔を調べた。
86才の好々爺の写真に安堵した。
遠縁のゲルマニストから、他校から院生で入学した時のコンパで柴田翔と同期だと分ったこと、その時の細面、横座りの彼の様子を聞いたのだが、それから46年後の写真に、彼のその後の順調な人生を見た思いだった。
スマホの記事で、新たに知ったことがある。
柴田翔は、学部を理科から文科に変わった為、1年多く学部をすごしたこと。
自分の見た青春群像を、われらが日々として
書いたが、その青春群像を肯定しながらも、なお、やや、距離感が有ったこと。
ああ、それで、私の忘れ得ぬ愛する言葉、“されど“ が、タイトルの始めに付いたのだ!



2021.7/12
山の生活第24日。
高い石垣に見られる鹿の食痕のライン。
2、3年前までは、茅が石垣の隙間から、
一面に垂れていた。




2021.7/11
山の生活第23日。
西に開けた、樫原のいちばん奥の家。
クサギの白いつぼみが目立って来た。



2021.7/9
山の生活第21日。
西中野川林道のレモンエゴマ。
舗装の縁石の僅かな隙間に根を降ろして育ってきたものは、体は小さいけど、群生のものに比べて虫も着きにくいようだ。



2021.7/8
山の生活 第20日。
窓辺の植込みの、鹿が背伸びして食い尽くした八重のクチナシも上の方にかたまって、異常なほど沢山の蕾をつけていたが、2輪開花した。




2021.7/7
山の生活 第19日。
七夕の低く垂れ込めた空。
古い星座盤を代わりに仰いだ。
芭蕉が、越後路出雲崎の七夕の句会で詠んだという 、
" 荒海や"の有名な句は、
やはり、冬の日本海を隔てて佐渡を臨み、横たわる天の川を、想像して詠んだのだろうと、
星座盤の月日を合わせてみて納得する。
七夕の夜は、佐渡の島影を横断するように天の川が架からないことは、芭蕉は、承知しながらも敢えて。



2021.7/5
山の生活第17日。
明治神宮の森に育てられたような私。
21年前、大塔山系から、ここ那智山系へ移って来たとき、那智山に明治神宮の森が在ることを知り、縁だなと思った。
今、明治神宮北参道側の樹齢150年のくぬぎに病魔が忍び寄っている。防御策に効果があると良いのだが。



2021.7/2
山の生活第14日。
昨日からずっと雨。
auのアンテナの横が川になって県道に流れ落ちている。



2021.6/29
山の生活第11日。
朝、郵便受けにAmazonで求めた2冊の本が届いていた。
ミヒャエル・ホルツァハの1982年刊のは、『これもドイツだ』Deutschland umsonst 。
副題のohne Geld と、愛犬を連れての徒歩旅行の記憶をたよりに見つけ出した。1987年紀伊半島に来るきっかけとなった本だ。娘は、翌年生まれた。著者は、1983年に亡くなっていた。
2002年刊のホロビンの本は、
彼の知的探求の旅が、医学生でナイロビで医療サービスに参加していた時に、解剖学の教授に70万年前の遺跡を見に行くように勧められたのを発端としている点で、興味を持ち、刊行の4年後、大学生として、沖縄に旅立つ娘を、紀伊田辺まで見送った降車間際に手渡した本だ。
今も首里の娘の本棚の隅に眠っているようだ。著者は、2003年に亡くなっていた。
今日は、娘の誕生日。



2021.6/28
山の生活第10日。
今日は、日没が一番遅い日なのだそうだ。
昼の長さは、少しずつ短くなっているけれど。
鹿の食べない植物、優雅な名を持つ未央柳の黄色い花、高貴な香りの定家蔓の群生を雨のなかで眺める夕方。




2021.6/27
山の生活第9日。
早朝、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を捧げたシュワイツァー博士の伝記の年譜を読む。
夕方、伝記の著者、山室静氏が北欧文学研究者と知り 、片付け中の家の整理中の本のムーミンシリーズの積んであるところへ行ってみた。翻訳者は、やはり山室氏だった。
その一冊の解説者、フィンランド文学研究の高橋静男氏の言葉を拾って、納得した
ー シュワイツァーの『生命への畏敬』の思想と生涯の謎 ー を。
    私の 山の生活 もまた、
多くの生きとし生けるものとの共生を求めての 勤しみなのだ。



2021.6/26
山の生活第8日。
那智浜を出発して、樫原の奥に辛うじて残る3軒の家の回りを少しずつ片付けながら最奥の家に帰り着き、図書館で借りたシュワイツァーの伝記の小さな本を読む。30歳までは、音楽、哲学、神学の道を勤しもう、しかし、それからあとは、直接に人々のために身を捧げるのだ、という心のひらめきを着実に実行して、アフリカへ向かうまで。




2021.6/24
山の生活第6日。
朝に、レイチェル・カーソンの前書きを開いた。
夕に彼女の魂の系譜の著作を手許に列べた。只、シュバイツァー博士の本は無く、オルガニストでもあった博士の縁として、60年前に買ってもらった木のオルガンを偲んだ。






2021.6/23
山の生活第5日。
役場から山に帰る途中の西中野川林道。10年前からその盛衰を見てきたエゴマ。今は、林道登り口の道の端、落石集積場所に群落を作っている。
ネット上で長崎市の美しい山道の花の記事を見て、京大の論文の分布図も参照させてもらい、レモンエゴマであることを知った。その山道も鹿と出会うことが多いという。
鹿のせいで、植生が変わる度合いは、こちらが進んでいると思う。




2021.6/22
山の生活第4日。
滝本から旧道を登ってくる樫原道の地蔵尊の祠の上のヤマモモの老木も、今年は、小さな実を落としていた。
それにしても、樫原を南に下った西中野川の里の栽培種との大きさの違うことと言ったら。



2021.6/21
山の生活第3日。
夏至の日の夕日は、雲のヴェールに隠れて。
その代わり、山の家の西の端に立つ杉の巨木のもとに佇むと、串本の大島が見えた。ゆっくりとタンカーが航行し視界から消えて行った。



2020年3月9日



日めくりに目が行き、今日が、旧暦の2月15日と知った。
涅槃会に寿命が尽きることを願った西行が逝った2月十六夜の月。
西中野川林道沿いに咲き初めた山桜に、西行の最後の庵に後世植えられた千本を超える桜を偲んだ。


2019年11月



今年も狩場刑部左衛門の神社のお祭りが滞りなく終わった。石垣のセンブリの可憐な花も。


2019年10月



ガマズミ、フユイチゴの赤い実が熟した。


県道沿いの崖に今年もツルリンドウの青い色が灯った。


台風一過の夕空


2019年8月17日
台風10号一過の樫原から瀧本の杉枝の散り敷かれた県道沿いに、瓜坊、カモシカ、子鹿がよぎった。
最後にいつもの定位置に、黒さんが待っていた。皆、無事だったんだ。


2019年8月13日
1年たつのは、はやい。大泰寺でのお施餓鬼は、ことしは、台風前夜の中。供え物を施餓鬼棚の前に届ける。
人間以外の全ての霊を思うこの行事が好きだ。


2019年3月26日
満開の桜の背後に峯の山



2019年3月16日
思いがけない3月の吹雪



2019年3月11日
西中野川林道から満開の山桜越しに口色川の連峰を望む。



2019年2月14日
瀧本の黒さんと同胎のチャトランが逝った。窓ガラスに鼻面を擦り付けた跡。



2019年1月9日
新年の嬉しい発見。ルビーのルビーのようなフユイチゴの実。フォン・シーボルトも愛した植物だ。



2018年12月22日
温かい小雨の中、冬至を迎えた。


2018年11月1日
例年の如く狩場刑部座衛門の神社の祭が執り行われた。センブリの白い小さな花が咲き祭りのあとのローズピンクの夕映えが美しかった。







2018年10月
自宅の県道沿いにアケビや、サルナシが実り、椎の実も落ち始めた。今年は生り年だ。







2018年9月4日
台風21号、朝から夕方まで籠に車を停めて風の道を見ていた。

 
2018年8月29日
野分の後、実りの秋の予兆。





 

2018年8月25日
早朝樫原に入った。倒木も片付けられており、滝本まで行けた。

2018年8月23日
台風20号上陸に備えて、天戸をたてた。山犬の万は、餌を食べに来なかった。山の奥に避難したのだろう。午後から夜半にかけて風が吹き荒れた。

2018年8月13日
大泰寺、お施餓鬼供養の朝5時





2018年8月11日
盆を迎える夕空


2018年8月7日
立秋を忘れず涼風が立った。

2018年6月21日
夏至の夕日を惜しんで、瀧本と樫原を行きつ戻りつした。

2018年3月30日
大奥方のO.SACHIEさんが山を下りて行った。
「無理すんなよ。」の言葉を遺して。


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