日本犬科学研究室-樫原なう-

ZIN 日本犬科学研究室
那智勝浦町色川樫原
TARO 人を犬に問う 自然史・文化史

樫原なう

2021.12/27
山の生活第192日。

滝本道の凍結を怖れてヘルパー仕事を休む。
明日は、下りられるかどうか、町境まで見に行った。



2021.12/26
山の生活第191日。

予報通り、朝起きて窓からみた世界は、雪に埋もれていた。



2021.12/24
山の生活第189日。

樫原のクリスマスカラーは、
植林の杉の下の低木として確実に増えつつあるセンリョウだ。
西宮のマンションの8階の一室では、
2年前の婚約の日に妻君から贈られた
クリスマスカラーのセーターを着た父を
4ヶ月の息子が見上げていた。



2021.12/22
山の生活第187日。

冬至の日の柑橘類は、沢山拾った。
いつまでも枝について
冬の滝本を明るくしてくれた山柿は、
ドライフルーツのように甘かった。
種の大きさに野生種の頼もしさを感じる。



2021.12/20
山の生活第185日。

滝本の南に面した斜面の
主が山を降りている
屋敷の石垣に晩秋の名残の
サネカズラの赤い実が
半ば乾燥してルビーのように垂れていた。



2021.12/19
山の生活第184日。

一番の冷え込みが来て、
奥の家の前の道が凍った。



2021.12/12
山の生活第177日。

家人の白内障の手術の初日を終えて、串本有田港の景色を楽しむ。
同じ日、沖縄の娘は、那覇市のナハートのこけら落としの
野村萬斎氏の唐人相撲の斬新な舞台に
市民参加の形の武官で立っていた。

卒寿をむかえられた父君の万作氏の三番叟も華を添えたと言う。

長大な翁の舞は、正月の演目だ。
飯田橋駅から歩いて正月の例会に能楽堂に連れていってもらった時、
三番叟を舞った野村万作氏は40歳前だったのだ。

もう50年以上前のことだ。



2021.12/2
山の生活第167日。

瀧本の大きな花梨の実を今年も採集させてもらった。昔植えて今は瀧本を離れている人家から。毒性をなくす加工をしない限り、そのままでは、食べられないことを皆知っているかのようにごろごろ地面に落ちたままだった。



椎の実採集と食物連鎖
熊野断想2021.11/29
山の生活第164日。

西中野川林道のスポットでは、
椎の実は、収束した。
その南の小色川旧道入口に残る
椎の森に佇む。

今年はここでも、
少しだけ椎が実を落としていた。
親木の足許に隠れて、
小さな苗が育っていた。

かつてホモ属が、
食物連鎖の中程に位置を占めていた頃から、
ドングリ採集は、許される行為であったろう。親木の意志に従うそのおこないは。

小さな苗を預かった。



直立の悲しみとバリ舞踊
熊野断想2021.11/28
山の生活第163日。

直立二足歩行の重力をまともに受ける弊害は、人類(ホモ属)の悲しみだ。
2019.6/29の日付で、娘が、沖縄からさらに
バリ島へ旅行した土産に付けてくれた絵葉書を見た。

バリ舞踊の美しい基本姿勢をとる乙女。

正面観の重心の分散と、
空間を立体的に捉え、空間に馴染み、
次の瞬間にどの方向へも動ける
野生動物のしなやかさ。

そこには、
悲しみを昇華させた美しさが有った。



2021.11/27
山の生活第162日。

食品、料理専門のフランスのジャーナリスト、マリー・クレール・フレデリックの
『発酵食の歴史』(2019)のなかに、
加熱より発酵が先だった、
との記述(P.32)を見つけ安堵する。
おぼろげな私の直感の支持を得たような
気がして。



2021.11/26
山の生活第161日。

紅玉を清水に浸し、発酵を観る。



2021.11/25
山の生活第160日。

本宮のかたからのお裾分けの
柚子と、
熊本産和牛ケンネ脂を、
清水に漬ける。



2021.11/24
山の生活第159日。

狩場神社の餅まき台の足許に
センブリが、
鹿に喰われず、
生き残っていた。
強烈な苦味は、
ヒトにとっては、薬だが。



2021.11/23
山の生活第158日。

収穫感謝の日に、
ネアンデルタール人の
食卓を想う。

採りためた果実、木の実、動物の脂肪、
薬草、岩清水。
彼らの穏やかな感謝の念は、
冬至の日のミンスミートのパイに。

勉強しなさい、しか言わなかったような
母も、本音は、お菓子作りや手芸が好きだったのだ、と、今は回想する。
熊野に持ってきた母の本に
ミンスミートの作り方が載っていた。



2021.11/22
山の生活第157日。

須川邸の西のはずれに、
東のはずれの腐葉土で、
二畝作った。



2021.11/21
山の生活第156日。

発酵の無い、
どんぐり粉と茶の実油の
パルミエは、苦かった。

何時もの早焼きパンは、
ドングリの発酵水のお陰で
食べられるようになっていたのか、
と、先史時代の発酵に想いを馳せる。



2021.11/20
山の生活第155日。

ひしゃげた鶏小屋の溝に、
小麦峠の腐葉土と草木灰を入れて、空豆を植え込んだ。



2021.11/19
山の生活第154日。

滝本の人に教えられた。
シロバンバが飛ぶと、
熊野のサンマが店に並ぶ、と。

沖合い魚のサンマは、縄文貝塚の動物遺存体のなかには見られなかった。
産卵期に接岸するサンマを遊木などで、
サンマ寿司にした。
今年は、どこで水揚げされたのかどうか。
何年か前は、串本まで南下していた。



2021.11/18
山の生活第153日。

須川邸の裏の高い石垣を背景に
ノササゲの紫の鞘、青い実。
その上には、
鹿を免れた南天の赤い実。



2021.11/17
山の生活第152日。

串本の眼科の検診をおえた家人と、田原の入江で弁当を摂る。
このおくを廻る小径は、
32年前の3月に赤ちゃんの娘を連れて
訪れた。まさにつらつら椿。
今度は、孫を連れた家族で見たいもの。

帰りは、籠で、十三夜の月が登り、
坂足で日が暮れた。



2021.11/16
山の生活第151日。

家人の検査の付付き添いの為、
山を降りる途中、
西中野川のポイントを見遣ると
椎の実は、ほとんど消えていた。あれが、
ピークであったのか。

マスティングも無く。



2021.11/15
山の生活第150日。

滝本のヘルパー仕事のあと、
萱刈場のようになっている
使っても良いよと言われて、
今までは、力の及ばなかった
北谷の入口の広い土地の
ススキを束ねたり、
間に隠れていたチカラシバの穂先を摘んだり、
軒裏のドングリを集めておいて下さっている
家で昔の話を聞いたり、
茶の実を拾ったり、と、
何時にもまして帰りが遅くなった。

さすがに、
家のカラスは、帰ったろうと思いきや、
6時間半も待ってくれていた。
只、車が樫原へ上り始めたのを確認して、
カラスは、先に戻って行った。

小麦峠の手前の「無名の見晴台」と
ツーリングの人に知られるところで、
日が暮れた。



2021.11/14
山の生活第149日。

朝目覚めて窓のそとの、
若木に気がつく。
木の名を知りたくて、
そのまま宝泉岳の頂上に向けて、緩やかな斜面を上っていく。かつての屋敷あとを見ると、
その若木の親、その上に親の親の老大木が連なっていた。

多分、マユミと、思う。



2021.11/13
山の生活第148日。

今年の梅仕事の時、
大量の収穫に感謝して
完熟の種を砂地に埋めておいた。

人間が欲張って青梅のうちに先取りした
後ろめたさのせめてもの解消にと。

3メートル程、北へ平行移動した
風でひしゃげた鶏小屋の軒先の隙間に、
家のアカネズミ君が
すかさず核を囓って纏めていた。

直良先生の遺跡出土の有り様に似て。

アカネズミ君は、どんぐりの季節は、
出張中だ。



2021.11/12
山の生活第147日。

奥の家のサザンカの赤い花も沢山開花してきた。
クマンバチの羽音を聞きに木の側に寄ると、実が弾けて落ちていた。

同じ椿属の日本固有種のヤブツバキから採る
椿油は、奈良朝には、渤海使に請われたり、
遣唐使の朝貢品として国際的価値を持っていたらしい。

万葉集には、巨勢山のつらつら椿、と、
序詞的に使われてはいるが、
巨勢の春野は、天皇に随行する万葉歌人にとって、土地誉めの祝詞以上に心から憧憬の土地だったのだろうと、
サザンカの花の下で連想する。

蘇我氏と同祖の巨勢氏の高市、
三輪山の南、金屋の辺りの椿市は、歌垣の地でもあったし、平安時代の長谷寺詣では、ここで装束を調え、奉納品の、灯明にする高価な椿油を買い求めたと言う。

さて、長々しい小春日よりの連想は、
巻16で家持が書き留めた大舎人三人嗤い歌。
巨勢氏は小柄で肌は黒く、分流の斐太氏は大柄で肌が黒い。それを嗤った埴輪づくりが職掌の土師氏に、肌が白いので、黒色が欲しいのは尤もだ、と応酬する。
太郎冠者、次郎冠者の源流を見る思い、と同時に、三輪王朝が、多彩な遺伝子を受けた氏族で成り立っていたことをイメージできる。
そう言えば、旅情宮廷歌人 高市の黒人も巨勢氏等と同祖と言う。

断続的にインスピレーションに浸った日の夕暮れ、山から出てきた 万ちゃんが、何時ものように道路の真ん中に座って、こちらの様子を伺っていた。



2021.11/11
山の生活第146日。

滝本のコナラ属の常緑樫類。
1週間の間に水浸処理の後、
もろぶたに6杯程取れた。

皆、実が充実していた為、
殻が自然とはじけてきた。

夕方160粒程を
40分位で手で剥いて粉にした。
何時もの早焼パン2回分はありそうだ。



2021.11/10
山の生活第145日。

奥の家のサザンカの横の
ヒオウギ。
気がつくと、
鹿が葉を噛んでいた。
留守中食べに庭に来ていたらしい。糞も落ちていた。



2021.11/9
山の生活第144日。

天満に用事で降りた夕方と
その翌日山に帰る時の
合計40分位の間に、
西中野川の何時ものポイントで
ツブラジイを拾った。
今年は、コナラ類と同様に、
シイの「マスティング」も有るらしい。



2021.11/8
山の生活第143日。

チカラシバの、
たった1株フェンスのなかに
鹿に喰ないよう温存してあった完熟の穂から、
種取りを試みた。
採取できたほんの数粒をポットに撒いて、
来春を待つことにした。



2021.11/7
山の生活第142日。

可憐なセンブリの白い花は、
須川山の林縁に10本程の群落をつくっていた。
狩場神社には、咲いているのかどうか?



2021.11/6 補遺
山の生活第141日。

森林総合研究所紀要を参考にしたスマホの記事:
「ドングリの加害虫」に救われた。

できたドングリの殆どは、
過程で失われてしまい、ドングリの子になるのは、1%に満たないのだ、と。
それに対するドングリの戦略が、「マスティング」と呼ばれ、成り年の間隔を空けることで、
害虫の生息数を操作するという。

須川山の林縁の20~30年生のナラの木の本に、
やっと1本の幼木を、昨夕見つけた。
念願の子が出来て安心だね。



2021.11/6
山の生活第141日。

朝、目覚めたまま、ぼんやり思う。
昨日、滝本の大量のどんぐりの
殻を一部剥いてみて、
入っていたドングリ虫の多さに
今更ながら愕然とする。
殆どは、コナラシギゾウムシ、
枝ごとおちていたのは、ハイイロチョッキリの親の仕業と知った。

窓の外を見ると、
センリョウ、マンリョウの赤い実。
サザンカの赤い花も一輪、二輪。

それを眺めながら、
植物、虫、鳥、動物、静物までも含めて、
すべての物との共生が、
虚言に終わらないためには、
出来る限りの不殺生を、と、思う。



2021.11/5
山の生活第140日。

今日一日は、晴れと聞いて、
勝浦のスーパーの茄子、牛蒡、ブナシメジ、
三輪崎の頂き物のサツマイモを
薄片にしてウツギの枝に干す。

西中野川のシイ、滝本の六地蔵尊の前で拾ったコナラを粉に挽く。



2021.11/4
山の生活第139日。

滝本の人が、
家の裏の柴と一緒に
樫の実を掃き集めて下さっていた。

良く太ったコナラのドングリだ。
去年はなかったが、
今年は一昨年と同じ豊作で、
トタン屋根に降る音が喧しくて、と。
その音は、私には、
星降るクリスマスのお祝いのように荘厳だ。

ドングリの降る音も
今朝を最後に聞こえなくなった、と。



2021.11/3
山の生活第138日。

11/3は、明治神宮の例大祭。
明治天皇の御稜威か、不思議と晴れ渡る。北参道の縁日に幼子を連れて出掛けた。明治神宮の森が、私の故郷だ。

11/1の樫原の狩場神社のお祭りは、3年越しで、とりおこなえなかった。
ローズピンクの夕映えと、センブリの白い可憐な花を懐かしみながら、
神社に遥拝し、天満まで降りる。

途中、籠の林縁にムラサキシキブの一枝。



2021.11/2
山の生活第137日。

我が宿のイヌタデが、
ビッグ・バンの気配。

昨日の万葉集に関わる≪師の賜物≫を開くと、
八穂蓼、多分水蓼(ヤナギタデ)を織り込んだ
嗤い歌を眼にした。

天武朝には朝臣の姓を賜った程の名家の二人。
平群朝臣が、
穂積の朝臣をからかった歌(巻16-3842)。
それに和うる歌として穂積朝臣の
平群朝臣への嗤い歌(巻16-3843)。

名族の長が、自らの風貌や古来の生業を
滑稽なものにして、おどける。
奈良時代後期、律令制や鎮護国家下に、
恭順するためのパフオーマンスだったかも。

真朱(水銀朱)は、平群朝臣の鼻の上を穿れ、
とは?

巻16-3840,3841の
大神朝臣と池田朝臣の嗤い歌の応酬にも、
真朱が足らなければ、
池田朝臣の鼻の上を穿れ、とあるのは?

彼ら族長たちは、赤鼻の天狗の様だったのだろうか?
その生業は、鉱脈を掘ることだったのだろうか?

本の奇遇に誘われて、迷い込んだ。



2021.11/1
山の生活第136日。

15歳の時の≪師の賜物≫

中西進氏とも知り合いの上代文学の研究者が、講師で教えた、ませた中学生の私に、
高校進学祝にと、
武田祐吉博士の万葉集全講を下さった。

11年後の≪師の賜物≫

動物考古学の恩師は、雑文の参考にと、
昭和23年発行の
小清水卓二博士の古書を下さった。

この2冊が、この歳になった私に
みずみずしい感性を与えてくれる。



2021.10/31
山の生活第135日。

昼下がり、
ヒヨが1羽、
ノブドウの最後の実を啄みに来て直ぐ立ち去った。干柿を偵察に来たのかも。

何時もの旧人粉食パンに
初収穫のアカマンマの実を混ぜた。



2021.10/30
山の生活第134日。

須川山の公団造林のネットと
県道沿いの家のイヌマキの生垣との間に、
ノササゲの紫の鞘をみつけた。
食用にはしていないらしい。



2021.10/29
山の生活第133日。

須川邸の畑の畝を作っていたら、目の前の茅の間から、
鹿が食い遺した球根から、
ヤマラッキョウの紫の火花。
ノビルだと思っていたら。



2021.10/28
山の生活第132日。

朝、昨日勝浦のスーパーで買ってきた牛蒡を切って干す。やはりスーパー安売り茄子も継続して干した。
見上げると、キッチンの庇に巣造りしたニホンミツバチが、飛び交っていた。



2021.10/27
山の生活第131日。

天満で、家人の様子を観たり、用事を済ますうちに、
山へ登るのが遅くなった。

坂足の上の県道、2011年大水害以来段差が出来ている地点で、
日没近くを迎えた。
クスノキの大樹に映えるローズピンクに、
見惚れた。



2021.10/26
山の生活第130日。

樫原奥のメインは、旧人風粉食パンだ。

小麦粉の含有率をだんだん小さくしていきたいものだ。

柿水の助けを借りて、貴重なドングリ粉、
アズキ粉、柿の乾燥皮の入った即席パンが
今朝も焼けた。



2021.10/25
山の生活第129日。

明け方3時に雷鳴とともに雨が降りだす。今日一日は、雨のようだ。
即席のパンを焼いて、滝本仕事の弁当にして、
パンの切れ端を玄関の犬に投げて遣る。

山から出てきた有色の俊敏で気の強い母親と
海南からきた気の良い白仙という紀州犬の父親の娘の智というこの犬は、
餌を投げても、前足をよけ、匂いを嗅いでから、こまめに噛んでたべる。



2021.10/23
山の生活第127日。

一昨日、西中野川の同じポイントで拾った
ツブラジイを、
やはり同じくコーヒーミルで挽いた。
殻は、柿水を加えて、
発酵を試みる。



2021.10/22
山の生活第126日。

滝本の川沿いの山柿は渋柿なので熟したら、
鳥が啄む。
先手を打って滝本の人が採った柿の
お裾分けで、干柿用に30個、枝に干す。

その柿を取り入れた夕暮れ、
樫原奥の夕映えは、ローズピンクだった。



2021.10/21
山の生活第125日。

奥の家のガマズミは、鹿に根っこを噛られて虫の攻勢に勝てず、
今年は去年のような鮮やかなルビー色の実が見られないなあ、
と、思いつつ見上げると、
須川邸の高いイヌマキの生垣のあいだから
青空に向かって赤い実をのばしていた。
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2021.10/20
山の生活第124日。

恐い紀州犬のところのアケビも、
カラスが採ったようだ。
一つだけ実がついているが。



2021.10/18・19
山の生活第122・123日。

一期一会を覚悟の
貴重なツブラジイの加工。

西中野川林道のワンポイントで
一昨日採集した木の実。

コナラ類は殻をとって水につける。
ツブラジイは、40個に満たない。

コーヒーミルで挽き、篩にかけ、
粉はアルミフォイルにつつみ、
残渣は、ブランデー漬けに。



2021.10/17
山の生活第121日。

朝起きると、杉の梢に冷たい風が通っていた。
外に出てシダを刈っていると、頬が冷えた。

夕映えは、
冴え渡る空気で、美しかった。



2021.10/16
山の生活第120日。

奥の家の縁側の前の
アカマンマが、真盛り。



2021.10/15
山の生活第119日。

2018年10/16と同じショットを撮れた喜び。
ツブラジイの一段と小さい初熟実を掌に。



2021.10/14
山の生活第118日。

柿の実が1/3個 落ちていた。
裏返すと皮一枚で、
身はきれいにカラスが啄ばみ、
その後にアリが寄ってきていた。



2021.10/13
山の生活第117日。

ヒトは食べないノブドウを
ヒヨは嬉々としてたべる。

朝8時、今更ながらと思いながら、高校までの同級生が監修する本を開いて、
意外とテキスト的で読めるなあとさっと目を通して、窓の外に目を遣った時の光景。

かつて 、長谷川真理子氏と私を
研究対象から揶揄して犬猿の仲と、
同級生が言ってくれたそうだが、
総研大学長と山姥では、と、思って、
ケンエンしていたが、
山姥の生活も満更ではないと気を取り直す。



2021.10/12
山の生活第116日。

息子の息子が生まれて二ヶ月たった。

丁度60日目のアルバムを見て、
16万年前とされる甘粛省夏河白石崖溶洞のデニソワ人を思い浮かべた。低酸素適応の遺伝子を内包し、東ユーラシアの北から南まで広がっていた彼等にとっての扇の要のようなヒマラヤに想いを馳せる。

ヒマラヤに登り、ユーラシア大陸を俯瞰した経験が、研究の源泉となっている学者の一人、環境考古学者の安田喜憲氏撮影のヒマラヤのページを開いた。

葉介と名付けられた この子の面立ちを、私の記憶の中に辿る。私の母方の 彼にとっての玄祖父やその息子たち(わたしの母方の伯父・叔父)の面影や眼差しが、この60日間に去来した。

長野県旧大岡村は、私の父方の先祖の地だ。
丁度一年前新婚旅行の真似事で、息子夫婦は、日本アルプスを望む安曇野から大岡へとドライブした。

葉介の血液の広さは、わたしのイメージを限りなく広げてくれる。



2021.10/11
山の生活第115日。

1年に一度の大切な山の幸を、
粉にしたり、乾燥後アルコールを振ったり、
ハチミツで発酵させたりして、保存。
ヒトのエゴとはいえ、
一人の糧として許されるだろうか?



2021.10/10
山の生活第114日。

雨が断続的にパラパラと降る。
窓を開けると、ヤマノイモのムカゴが、出来ていた。
オニドコロの弦に隠れるように。



2021.10/9
山の生活第113日。

朝8時。
キッチンの窓辺にウグイスの鳴き声が届く。
ひとなつっこい鳴きかたに惹かれて外に出て、鳴き声を真似る。3本の木を廻って鳴き返してから、狩場野へ飛び去った。



2021.10/8
山の生活第112日。

ヒト科の分類に於いて、
従来の形態学的相違に、
遺伝的距離の知見が加えられ、
今では、刻一刻枝を伸ばす
見事な 系統樹に育っている。

私の山の研究室にも、平面図では追い付かず、古い地球儀をすえた。



2021.10/7
山の生活第111日。

滝本の旧校庭の満開のキンモクセイのもとで、家から家出して里ネコになっている黒さんと、
マイカラスとの力関係を観る。
ヒトが傍に居る時は、
ネコ > カラス。
ヒトが3~4メートル離れると、逆転。

そこで、30数年前の中辺路野中の
吉垣内和策翁への、 家人のインタビューテープの一節が甦った。
“ 家の回りに群れで来て座った 山犬達に、壮年だった翁が、鉄砲を構える仕草をすると、
山犬達は、山へと後退する。
勢い着いた翁の飼犬達が、山へ追っていくと、力関係が逆転し、
飼犬達は、逃げ戻る。それの繰返しが可笑しかった” 、と。



2021.10/6
山の生活第110日。

サルが奇跡的に見逃した
滝本下地の山栗を貰い、
直ぐ皮をむき、渋皮ごと干して、
生栗粉を作ろうとしている 罪の意識を、
アカネズミが、和らげてくれた。
残渣が、さらに細かくなって、勝手口に散らばっていた。

家の周辺のアケビは、怖い紀州犬の真上のもの以外は、全て鳥族が、啄んだ。地上4〜5メートルの制空権は、彼等のものだ。
弦を高い所にのばしたアケビは、鳥に種を撒いて貰うのだ。



2021.10/5
山の生活第109日。
26才の時に動物考古学徒としての
ささやかな出発の贈り物として、
恩師が、『科学朝日』に小文を載せる機会を与えてくれた。
その冒頭で私は、生態学・精神病理学・心理学さらには東洋思想をも含めて本質的に農耕文化を批判し、対極に狩猟文化を置いた ポール・シェパードの『狩猟人の系譜』(1975)の言葉を引用した。
訳者の一人は、自己家畜化の旗手 動物学者の
小原秀雄氏だ。
以来、「自己家畜化」 は、私の心の芯になっている。

今、私なりの山でのささやかなライフワークの方向を確かめるための2015・16刊行の訳本3冊を置いた。

恩師と私の中間の年代のパット・シップマン女史は、オルドゥヴァイ渓谷の獣骨のカットマーク研究が古人類学者としての出発点と言う。

2008年春から夏の半年間のBBCの企画で、
人類の足跡を辿った旅の 、
文献的に裏付した書籍版を2009年に出した、1973年生まれのアリス・ロバーツは、
古病理学が専門だった。
彼女は、旅の途中、
2008年の初夏のライプツィヒで、
ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを抽出中の スヴァンテ・ペーボの研究室に立ち寄り、僧院のような静謐さの雰囲気に圧倒されている。

ペーボの研究室は、その後、核DNAの抽出、機能遺伝子への展望と、日々刻々と静かな歩みを続けている。

ぺーボ博士の繊細で生き生きとした30年の自叙伝の一節を読みふけった夜明け。暁の夢うつつのなかで、バイセクシュアルのカミングアウトが私の脳裏に入って来た。

私の34年の眠りの回想からの覚醒は、娘の送ってくれたバリ舞踊の中性舞踊だった。神に捧げる舞踊は、非現実の中性の姿を必要としたのでは? ペーボの姿勢もそれに通じるのでは?



2021.10/4
山の生活第108日。

滝本のヘルパー仕事に出かける朝は、
カラスも2羽で鳴き交わしながら、
出発の準備をする。

白いエスティマの目的地点は分かっている。
2羽は、樫原奥の杉から
狩場野目掛けて急降下し、
大圏コースで先回りし、
滝本の基地局のアンテナの尖端にとまって、
県道をうねって降りてくる車を待っている。

帰りは、私が近所で油を売っていても、
辛抱強く待っていて、
2羽で連携しながら、
車の直ぐ前を翔ぶ。



2021.10/3
山の生活第107日。

晴天2日目をいとおしむ。
家中の衣類を日に干し、
納屋の片付けを終え、
子供達の過ごした納屋の二階で、夕景を見る。

息子が、夕日を追いかけたように、思わず小麦峠まで、走り出た。



2021.10/2
山の生活第106日。

家人の故郷、印南本祭の日。
祭の日は、常に晴天というジンクス通り
晴れ渡った樫原奥で、
15年以前のアルバムで偲ぶ。

同じ日、
印南の祭りの源流と感じると家人も言う、
バリ島まで、
南島回帰の憧れをさらに伸ばす、
沖縄の娘は、
バリ舞踊のイベントの応援で一日を過ごした。



2021.10/1
山の生活第105日。

午後、久しぶりの青空となった。
夕方、夕日を見ようと
小麦峠まで行くのに、
向かい風がすさまじかった。
夕映えは、キッチンの窓から。
心なしか、薄暮の時間が短くなったように思えた。



2021.9/30
山の生活第104日。

滝本のヘルパー仕事に間に合うよう
樫原道を自宅まで帰る1キロ余り手前で、
枯れて
幹の断片を少しずつ道路に落としていた
楢の木の 、最期の遺物の
巨大な根っ子に遮られた。

ヘルパー仕事のため、
滝本への行き帰りを歩く覚悟でいたが、
善意に助けられ、車で往復出来た。



2021.9/29
山の生活第103日。

天満まで、用事で山を降りる途中、
西中野川トンネルへ下る、 小色川への旧道の起点でもある所に祀られる、
永興禅師の墓に詣でる。

日本霊異記下巻(764年〜822年の仏教説話をのせる) 巻頭に載せられている、孝謙天皇の時代の東大寺華厳宗の高僧という。

旧道を少し下りたところには、50年以上前に、行者さんもすみついていたそうだ。

直柱の古老から、
隣の直柱の谷から山を越えて
お母さんにつれられて
病気をご祈祷で治してもらいに
通った話を聞いたことがある。



2021.9/28
山の生活第102日。

なかなか晴れない。
キッチンの残り物に僅かの糧を求めて、
暖竹の茎にミエバエが止まっている。



2021.9/27
山の生活第101日。

滝本のヘルパーを終え、山に登る途中、ふと、手の届くところにある朴葉を見つけた。
朴葉味噌を14年前に塾の教え子から修学旅行のお土産にもらったことを思い出した。
山の 大きくて広い葉は、貴重だ。虫に噛られて可哀想と言いながら、私も、一枝。



2021.9/25
山の生活第99日。
奥の家のコナラは、終盤に。
換わりに、小麦峠のドングリ(右上)、
須川邸近くのイチイガシ(左下)が、
少し増えた。
アカネズミも1個齧っていた。
須川邸に君も移動したんかな?



2021.9/24
山の生活第98日。

今日は、旧暦8月18日。
昨夜天満で立ち待ち月を眺め、
今日は、居待ち月。
上古の月を眺める生活を想う。



20219/23
山の生活第97日。

秋分の日。
海辺の勝浦、新宮で50歳の4月から、15年間塾講師をした。
文系出なのに、高校数学に救われた。
太陽や月を仰いで、
螺旋状の年月・季節の廻りに吐息する時、
いつも脳裏に浮かぶのは、サインカーブだ。

スマホの AMEBAの記事に、
エクセルでの
昼の長さ、日の出・日の入り、南中時太陽高度のサインカーブを見つけた。
自分で描くサインカーブは、
何時もこんな調子だが。



2021.9/22
山の生活第96日。

樫原奥のキッチンから秋の夕暮れ。



2021.9/21
山の生活第95日。

水に浸けて、アクヌキしただけの
家のコナラは、すり鉢で簡単に摺れた。
思いついて、米粉をまぶして小さな団子にして、オリーブオイルでイタドリ少しと炒める。
桑の葉で、鮎の塩辛を使ったなれずし試作品、定番の粉食簡単パン、私の気紛れで、豊穣な食卓となった。
だが、他の生き物の命を繋ぐ食べ物を横取りした後ろめたさがあった。
家のコナラは、もう実を落とさなくなってきた。アカネズミが、貯蔵する分を団子にして、
食べたのでは?
パーマカルチャーは、
あまりに人間的過ぎるのでは?



2021.9/20
山の生活第94日。

マリアカラスとマイカラスの一文を、
と、何回となく思っていたが、
そんな駄洒落ではすまされないと感じ始めた
今日この頃。
10年以上前から、もう何代にもわたって樫原奥の家にいるカラス。

ヘルパー仕事のときは、滝本まで2羽が先導し、樫原に帰るまで、遊びながら待って居る。
上る途中で、停車するところの梢にとまって最後のおやつをもらって解散。



2021.9/19
山の生活第93日。

明日は図書館に本を返そうと
桐村氏の本をさあーっと見ているうちに、
宇江敏勝氏へのインタビューの項に、
近影を見つけてハッとした。

熊野入りした時に宇江先生と対談させていただいた頃、その後の15年程前に樫原の狩場神社祭にぽっと来てくださっていた頃、
何処かに文学青年の俤を残しておられたが、80代になられた写真は、
揺るぎない山人の相だった。



2021.9/18
山の生活第92日。

明け方5時頃が雨のピークだった。

道路が川のような状態が、
午後日が照りだしてからも、終日続いている。



2021.9/17
山の生活第91日。

ススキ、チカラシバ、シソの穗がやっと出た。
樫原では、これらさえ、
フェンスで囲ったシードバンクでしか残らない。



2021.9/16
山の生活第90日。

小麦峠のイチイガシのドングリが
枝ごと落ちていた。
猿は来ていないようだし、
折口が、平面なので、風で折れたのだろう。

大分たまったので、水に漬けるだけのあくぬきで、ドングリ粉にした。
豆乳の副産物の生オカラも
粉で保存。

だが、
貯め込む習性は、どこから来たのだろう?



2021.9/15
山の生活第89日。

谷川健一氏の『青銅の神の足跡』は、
紀伊半島入りする時、コピーしか持ってこなかった。それを、子どもたちが幼児の頃、地図帳を横に置いて楽しんだ。

白鳥伝説に謎の氏族鳥取氏を探る という
河内の考古学者山本昭氏の本(1987年刊)がポストに届いていた。
里帰りして新宿の紀伊国屋書店本店で買って行こうかどうしようかと逡巡して結局諦めた本を30年後、やっと手に入れた。

鳥と金属鉱脈、犬と金属鉱脈 。私の 今も温めているイメージだ。



2021.9/13
山の生活第87日。

國學院流の石の民俗の調査で1974年に熊野入りされ、近大に赴任した1988年から、
熊野を集中して歩かれた環境民俗学の提唱者 野本寛一氏の本の中に、那智大社の扇祭の項があった。
扇神輿の基部につけられた ヒオウギをみて、樫原の狩場神社の境内に沢山あったと思い、
覗いてみたが、皆無だった。
アヤメ科なので、樫原の鹿は、食べるようになったのかもしれない。

滝本の小学校跡に2、3株地元の人が移植したヒオウギは30株ぐらいに増えていたのだが。



2021.9/12
山の生活第86日。

胃が重く、無性に発酵物が食べたくなり、
スマホで 発酵の要らないパンをみて、
30分余りで焼き上げる。
豆乳、オリーブオイル、ヤマモモの葉の粉末 は、アレンジしたが、
願い通り、パンを食べられた。



2021.9/11
山の生活第85日。

ヤマブドウならぬノブドウが、
枝垂桜の枯木に巻き付いている。
属がちがうので、ヤマブドウやエビヅルのようにはヒトの食用にならない。
朝から、ヤマガラが盛んに食べている。



2021.9/10
山の生活第84日。

朝から、図鑑とドングリとにらめっこ。
どうやら、葉柄が長いことから、家と、少し先の小麦峠で拾ったドングリは、ミズナラよりコナラというべきらしい。この2種の雑種も有るということだが。
小麦峠で昨日見つけたどんぐりは、常緑のウラジロガシらしい。
落葉広葉樹と照葉樹が、辛うじて接している処なのだなあ。



2021.9/9
山の生活第83日。

町の図書館の郷土資料室で、禁帯出でない本を矢継ぎ早に4冊、あとの一冊は、ネットの古本で人気で 手に入らず 35年前に親しんだ谷川健一氏の地名に関する本を借り出す。

家でよく見たら、3/5は、桐村英一郎氏の本だった。
東京出身で 定年まで朝日新聞主幹級の道を極められ、その後、明日香村、現在は、三重県熊野市波田須町に住まわれている氏の淡い感性に 不遜な言い方だがノスタルジーを覚える。今は、山姥と化している私だが。
それに、波田須の海は、徐福伝説もあり、これも不遜な言い方だが、家人の犬飼場として、私も初めて熊野に降り立った場所なのだ・・・、
そのインスピレーションのさきで、はっと、閃いた。
今、樫原の奥で本拠としている須川邸を訪れた畝畑の野尻氏が、一世代前に須川邸の有った北ノ川への荒山道を案内した時、須川氏一行のなかに、妻君を伴った桐村氏がおられたことを。

その時のことも桐村氏の本のなかに記されていた。

今、樫原に棲むことの縁を感じる。



2021.9/8
山の生活第82日。

役場と社協に出向く為、少し重い気持ちで山をあとにする。
西中野川林道から西中野川トンネルへ降りる町道で、重い気持ちが晴れた。
青い椎の実一房と、
その先の 昔植林されたスギを椎の木が凌駕している小道を眺めて。



2021.9/7
山の生活第81日。
明け方、夢うつつのなかで、スマホを繰って、栃の実の焼酎漬け、効用、毒性などあれこれみる。
小雨の降る一日、結局、ゴソゴソとキッチンの掃除をして過ごした。
その間の製作物は、
塗布用栃の皮の焼酎漬け、
栃の実の粉末の焼酎漬け、
クッキー状態粉末、それに、焙煎粉末。



2021.9/6
山の生活第80日。
滝本の人に案内してもらい、
宝竜の滝からの伏流水の左岸のトチノキの大木を見に行く。
3年前に栃の実を拾った処だ。
親の老大木が、流れのごつごつした石の間に実を落としていた。
案の定 猿が先に来ていて、皮を剥いで行った形跡がちらほら。それでも、20個ほど、大石の隙間から見付けて持ち帰る。
アク抜きの難しさは承知の上だが、
今回は、貴重な栃の本性を探るべく、
すぐに、栗を剥くように皮を剥き、1回水溶性のタンニンを ゆでこぼして、一晩ボウルに浸けて 就寝。



2021.9/5
山の生活第79日。
朝、犬の餌やりの帰り、家の青いドングリを拾う。ヒト:アカネズミ:虫 = 11:1:1 位かな。
アカネズミも本来の餌に走ったらしい。
夕、家のカラスが、青柿の食べ残しを道に落として行った。
老木にも今年は、実が成っているよ、と、教えてくれたのかい?



2021.9/4
山の生活第78日。
紀伊半島第水害から10年経った。
日曜日の明け方のことだった。

同じ日、娘の信奉して止まなかった
指導教授が、
久高島の波乗りのさなか亡くなった。
娘が、院生として歩み始めた時だった。

樫原の静けさのなかで、
時は、流れつつ、かつ静止しているように、
と、願う。



2021.9/3
山の生活第77日。

アカメガシワの下に停めている老体のエスティマのフロントガラスに
アカメガシワの落葉。秋になったなあ。
ぱらぱらとはじける小さな黒い実は、エンジンルームに入っていきそうだ。

でも、ちょっと毒っぽいその実を、
ヒヨとヤマガラが群れて、
盛んにのみこんでいる。
おしゃべりが上手なのは、
ヒヨのほうのようだ。



2021.9/2
山の生活第76日。
新宮市滝本からの帰り道、
地蔵尊の祠近くの楢の木のドングリが気になって車を停める。
家のドングリと同じ青い実を付けていた。
手を伸ばして実を5,6個もらった。
充実しているようだが、葉には、虫コブができていた。
スマホで調べると、ナラハタイコタマフシの幼虫の住処の跡とのこと。



2021.9/1
山の生活第75日。
エネルギー保存、一筆書、簡素を旨に、
朝食まで動く。
自然と定位置も得て、
青いドングリ入り茶粥が出来た。
今朝のドングリもアク抜きをセットして、
いざ、試食。
ドングリは、無味無臭だが、お腹の足しになりそうだ。





2021.8/31
山の生活第74日。
熟す前に青いドングリしか落とさぬ
家のミズナラ。
それでも、殻を割ってみると、
虫が入った痕跡。
ミズナラの戦略として青いうちに実を落としてしまう。
虫の攻撃が多くて、熟して茶色になる実が皆無なのだ。
実りの9月を迎えられるのかどうか。



2021.8/27
山の生活第70日。
昨日の外竈での火の使用が、35年前の
紀伊半島入りした頃の記憶を呼び覚ます。
在来日本犬資料誌『牙2号にまとめた参考書誌の抜刷を送った 環境考古学者 宮本善憲氏が、
2001年の鼎談のなかで、「人間は、1万年ぐらい前から、火を使って大規模に森を破壊している」と、言っておられた。それからまた、20年経って、この言葉は、はたして現代的意味を持ち続けているのかどうか?Amazonで2010年代の氏の本を注文した。

抜刷の返礼に、自然科学と考古学学会で面識が有ったのみの私に対して、“やっと、よいフィールドが見つかったようですね。”と、書いて下さった。

30年の眠りから覚めて、これからだと。
気負わずに歩かねば。



2021.8/26
山の生活第69日。
昨日、滝本道で ナラの枯れ木が擁壁の上から県道端に落下して集積しているのを
家に上るついでに車に積んできた。
今日は、それを外竈にくべて、
小振りの釜でクサギの葉を蒸し、
空煎りして即席の茶を作った。



2021.8/24
山の生活第67日。
水は来てるかな?と、裏窓から見ると、岩に映る水面の揺らぎで分かった。
すぐ横に、蘭の紫の花も揺れていた。



2021.8/23
山の生活第66日。
雨で止まっていた谷水を水源から連れて来る。
家に帰ると数秒後、
水槽に水が落ちる音。
歩く速度がほんの少し速かった。
道のわきに白い毒キノコが。



2021.8/22
山の生活第65日。
いつもの鹿だろう。玄関前で草を食んでいた。



2021.8/21
山の生活第64日。
徒長したツユクサを抜いて玄関前に積んであったのを、留守中に、鹿が葉を食べていた。
鹿の食事の足しになった。
8月12日生まれの孫の名は、葉介。
回りの者への葉の恩恵のような存在になってほしいと、ひそかに想う。



2021.8/19
山の生活第62日。
深夜キッチンでガタッという音。
行ってみると、団子入麦茶粥の蓋が落とされていた。
あの力持ちのネズミの仕業と思って大きい蓋に換えて様子をみると、
今度は、少しだけ蓋をずらして、
手ナベの横からこちらを正面から睨んでいた。
ヒメネズミより一回り大きいアカネズミだと図鑑をみて納得した。区別は、眼窩の辺りだという。



2021.8/17
山の生活第60日。
樫原奥の通信のインフラが整った。
雨の中、Wifiの工事敢行に感謝。



2021.8/15
山の生活第58日。
雨の盆。
犬たちも静かに過ごしている。
彼等の先輩の霊は、
帰らずにいつも山にいると想っている。
その資料を纏めていくのが、私の山の生活の
アウフガーベだ。



2021.8/14
山の生活第57日。
カマドウマやキリギリスも
家に入って雨宿り。



2021.8/13
山の生活第56日。
例年どおり、早朝、
太田の御寺に御施餓鬼の供物をして、
万物の霊の安寧を願う。
雨のお盆になりそうだ。



2021.8/12
山の生活第55日。
大安吉日の今日、西宮の息子に様子を聞くラインを、と、思っていた矢先、息子からラインがはいった。
安産で男の子が生まれた、と。



2021.8/11
山の生活第54日。
野分に吹き寄せられた枝葉の県道を、
盆のお供を買いに降りる。
中学生ぐらいの縞蛇が、エサ取りのために道をよぎるのを待つ。200以上ある椎体の1つが傷つけられただけでこのヘビは生きていけなくなるのだ。
動物考古学の調査で気仙沼の貝塚の膨大なイワシ類の椎体の中に混入していたヘビの脊椎骨を教えられた20代の日のフラッシュが甦る。
帰りついて、師の一代上の研究者の本を引っ張り出した。



2021.8/10
山の生活第53日。
昨夜の余韻で、枕草子の、「野分のまたの日こそ」を読んで、
家の外に出た。
樫原の野分のまたの日は、青空と、ドングリ子どもだった。



2021.8/12 山の生活第55日。 大安吉日の今日、西宮の息子に様子を聞くラインを、と、思っていた矢先、息子からラインがはいった。 安産で男の子が生まれた、と。 2021.8/9
山の生活第52日。
台風の雨が通り過ぎた滝本に、
畑を荒らす5匹の猿の群が来たという。
レトリバーのイチがいるときは、垣も要らんかったのに、と、畑の主。
そう言えば、下地の人の斑犬は、
仕込まれて、鹿は自分で獲るけど、
猿は追わんね。賢いんやね。と、も。
家の 山から出てきて居ついてしまった 斑犬のマンちゃんは、
猿に一回遠吠えしてみたものの鹿や猪には知らん顔やなあと、思いつつ
『年中行事絵巻』の
大饗のエキジビションに出かける
鷹飼一行の騎馬上に抱かれる犬は、
白犬だが、
正月4日の東三条殿の宴会の
鷹飼に従う犬飼の牽く犬は、
斑犬だ 、などと、
ページをめくりながら、
早めに就寝してしまった。





2021.8/8
山の生活第51日。
家のヤマモモは雄株で、実は成らないが、
葉をレンジで2分、粉にして、
スパゲッティーにかける。
石垣に自然に生えた10年生の松の一枝が、
爽やかなジュース3回分。
人間的食べ物としては、罪が無い部類かなあ、と。



2021.8/7
山の生活第50日。
今日は、立秋。
台風10号、9号の影響で、断続的な雨の中、奥の家の回りのシダを、 雨でゆるんだ地下茎ごと引き抜いて、
試みに土間にしようとしているところに敷く。
抜いて疎らになったシダの間からは、以前種を撒いてあったクローバーが、顔を出していた。



2021.8/5
山の生活第48日。
西に開けた樫原は、夕日の美しい処だ。
夕空を眺める習慣を、
西宮浜でも持ち続けているだろうか。
息子が、父となる日も近い。





2021.8/4
山の生活第47日。
キッチンの訪問者、アカネズミ。
単独でも、荒仕事をする力と気力持ち。
クッキーの残りを入れた缶の蓋だけ テーブルの下に落とし込んでいた。
中身は、気に入らなかったらしい。
缶の蓋に、齧歯類の歯形を見つけて、
彼の奮闘振りを想像した。



2021.8/2
山の生活第45日。
ヤマガラは、人の手からもヒマワリの種をもらう人懐っこい鳥と、スマホで見た。
毒のあるというエゴノキの実も中の核を取り出して食べるそうだ。
そういえば、鹿の食べ残すボタンヅルの花を啄みに来ている。



2021.8/1
山の生活第44日。
大型の外竈や平鍋、積みっぱなしの本や書類。
昨日の午後は、籠から2度のエンストを起こさせてしまった。
坂足で、積み荷をおろし、家まで行って、書類をおろし、雷雲のなか坂足にもどって、2回に分けて、積み荷を定位置に分配した。
小さいプレオが、本当の山の生活に入るよう教えてくれた。
今朝、プレオも 私も、身軽になって、良い目覚めを迎えた。



2021.7/31
山の生活第43日。
旧暦6月22日。
晩夏と言ってもよいなあ、と思いつつ見上げると、イヌマキの高い生垣の上に、クズの花。



2021.7/30
山の生活第42日。
クチナシの甘い薫りに換わって、クサギの少し白粉ぽいかおりを風がはこんでくる。
花が終われば、紺色の実をつけるだろう。
多分9月を待たずに



2021.7/29
山の生活第41日。
朝、鳥たちも、イネ科植物が少なくなって、大丈夫かな、と、ふと心配しながら、奥の家の前に立つと、ヤマガラの群れが、地鳴きをしながら、弦や、杉枝の間を渡っていた。彼らは、大丈夫のようだ。弦を良く見ると、アケビの実が。



2021.7/28
山の生活第40日。
渓水を引いてくるパイプの噴水が今日は、4メートルに。
それでも奥の家まで来ると、チョロチョロに。



2021.7/26
山の生活第38日。
シダに守られて、ノアズキの三葉と弦を発見した。20年前には、黄色い花が咲いていた場所に1本だけ。



2021.7/25
山の生活第37日。
西中野川トンネル入り口で、旧暦6月15日の夜半の月を眺めながら、
浜木綿を素材とした歌を冒頭に配置した、
柿本人麻呂の み熊野相聞歌(巻4,496~499)のことをうつらうつら思って明け方まで過ごす。
701年(大宝元年)文武天皇従駕での紀南の旅のとき、人麻呂は浜木綿を観ていたのだという。ただ、浜木綿は、序詞として彼の虚構の叙情世界を描く道具になってしまったんだなあ、と、ちょっと残念な気分。
ところで、西中野川トンネルから上っていくと、高麗地蔵の祠がある。立札に由ると、750年ころ、孝謙天皇をお招きしたときに建てられたと言う。
文武天皇の孫にあたる女帝だ。





2021.7/24
山の生活第36日。
町立図書館に本を返却に勝浦に下りた夕方。湯川の駅の浜木綿を写真に納めた。
花が終わった基部に大きな実をつけ始めていた。
椰子の実と同じ漂流して流れ着いた処で殖やす戦略も持つという。





2021.7/23
山の生活第35日。
去年の台風で根こそぎ倒れた杉の根っこを横から観察して納得した。水田跡に植えた樹の根が横に拡がることを。




2021.7/22
山の生活第34日。
久振りにイノシシが籠方面から樫原奥に廻ってきた。
多分若い、立派な半月状の牙を持ったあのイノシシだ。
一番奥の3軒目で、狩場野に下りて行った。



2021.7/21
山の生活第33日。
一日で、赤く日焼けした梅干。
そのまま夜露に。



2021.7/20
山の生活第32日。
渓水を引いてくるパイプのエア抜きが、
噴水となって、午後の木洩れ日をうけて、
虹がかかっていた。



2021.7/19
山の生活第31日。
今日から夏の土用入り。
日中は、樫原や滝本も暑かった。
でも、梅の土用干しは、もう少し様子をみたほうがいいね、と、滝本の人と話した。
小麦峠の夕映えに、積雲が浮かんでいた。



2021.7/18
山の生活第30日。
雨が、道路を流れていく。
昨日から祇園祭、と思いながら、
『年中行事絵巻』の巻九 「祇園御霊会」を
細部まで視ていたら、夕方になっていた。
旧6月14日の還幸の列見所付近の
3つの神輿、宮主、神楽、獅子舞の群像が、動画を見るように生き生きと描かれている。







2021.7/15
山の生活第27日。
Amazonで買った『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』を、柴田翔より一世代前の独文学者 山下肇氏の訳で読み始める。今更ながら。
第1章 聖家族
主人公と共に、山中を遍歴するような気にさせてくれるゲーテの描写力に感謝。



2021.7/14
山の生活第26日。
梅雨明けになるかも、と、
朝、樫原の北端の小麦峠から、果無山系を望む。
雲海もなく、梅雨空だった。



2021.7/13
山の生活第25日。
町の図書館で借りた本の訳者に懐かしい名が有った。
柴田翔。
初刊から10年後の1974年に読んだ『されど、われらが日々』。
丁度学部を終える時、柴田翔の描く青春群像にわが身をなぞらえて、胸騒ぎを禁じ得なかった記憶が鮮烈に蘇った。
恐る恐るスマホで現在の柴田翔を調べた。
86才の好々爺の写真に安堵した。
遠縁のゲルマニストから、他校から院生で入学した時のコンパで柴田翔と同期だと分ったこと、その時の細面、横座りの彼の様子を聞いたのだが、それから46年後の写真に、彼のその後の順調な人生を見た思いだった。
スマホの記事で、新たに知ったことがある。
柴田翔は、学部を理科から文科に変わった為、1年多く学部をすごしたこと。
自分の見た青春群像を、われらが日々として
書いたが、その青春群像を肯定しながらも、なお、やや、距離感が有ったこと。
ああ、それで、私の忘れ得ぬ愛する言葉、“されど“ が、タイトルの始めに付いたのだ!



2021.7/12
山の生活第24日。
高い石垣に見られる鹿の食痕のライン。
2、3年前までは、茅が石垣の隙間から、
一面に垂れていた。




2021.7/11
山の生活第23日。
西に開けた、樫原のいちばん奥の家。
クサギの白いつぼみが目立って来た。



2021.7/9
山の生活第21日。
西中野川林道のレモンエゴマ。
舗装の縁石の僅かな隙間に根を降ろして育ってきたものは、体は小さいけど、群生のものに比べて虫も着きにくいようだ。



2021.7/8
山の生活 第20日。
窓辺の植込みの、鹿が背伸びして食い尽くした八重のクチナシも上の方にかたまって、異常なほど沢山の蕾をつけていたが、2輪開花した。




2021.7/7
山の生活 第19日。
七夕の低く垂れ込めた空。
古い星座盤を代わりに仰いだ。
芭蕉が、越後路出雲崎の七夕の句会で詠んだという 、
" 荒海や"の有名な句は、
やはり、冬の日本海を隔てて佐渡を臨み、横たわる天の川を、想像して詠んだのだろうと、
星座盤の月日を合わせてみて納得する。
七夕の夜は、佐渡の島影を横断するように天の川が架からないことは、芭蕉は、承知しながらも敢えて。



2021.7/5
山の生活第17日。
明治神宮の森に育てられたような私。
21年前、大塔山系から、ここ那智山系へ移って来たとき、那智山に明治神宮の森が在ることを知り、縁だなと思った。
今、明治神宮北参道側の樹齢150年のくぬぎに病魔が忍び寄っている。防御策に効果があると良いのだが。



2021.7/2
山の生活第14日。
昨日からずっと雨。
auのアンテナの横が川になって県道に流れ落ちている。



2021.6/29
山の生活第11日。
朝、郵便受けにAmazonで求めた2冊の本が届いていた。
ミヒャエル・ホルツァハの1982年刊のは、『これもドイツだ』Deutschland umsonst 。
副題のohne Geld と、愛犬を連れての徒歩旅行の記憶をたよりに見つけ出した。1987年紀伊半島に来るきっかけとなった本だ。娘は、翌年生まれた。著者は、1983年に亡くなっていた。
2002年刊のホロビンの本は、
彼の知的探求の旅が、医学生でナイロビで医療サービスに参加していた時に、解剖学の教授に70万年前の遺跡を見に行くように勧められたのを発端としている点で、興味を持ち、刊行の4年後、大学生として、沖縄に旅立つ娘を、紀伊田辺まで見送った降車間際に手渡した本だ。
今も首里の娘の本棚の隅に眠っているようだ。著者は、2003年に亡くなっていた。
今日は、娘の誕生日。



2021.6/28
山の生活第10日。
今日は、日没が一番遅い日なのだそうだ。
昼の長さは、少しずつ短くなっているけれど。
鹿の食べない植物、優雅な名を持つ未央柳の黄色い花、高貴な香りの定家蔓の群生を雨のなかで眺める夕方。




2021.6/27
山の生活第9日。
早朝、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を捧げたシュワイツァー博士の伝記の年譜を読む。
夕方、伝記の著者、山室静氏が北欧文学研究者と知り 、片付け中の家の整理中の本のムーミンシリーズの積んであるところへ行ってみた。翻訳者は、やはり山室氏だった。
その一冊の解説者、フィンランド文学研究の高橋静男氏の言葉を拾って、納得した
ー シュワイツァーの『生命への畏敬』の思想と生涯の謎 ー を。
    私の 山の生活 もまた、
多くの生きとし生けるものとの共生を求めての 勤しみなのだ。



2021.6/26
山の生活第8日。
那智浜を出発して、樫原の奥に辛うじて残る3軒の家の回りを少しずつ片付けながら最奥の家に帰り着き、図書館で借りたシュワイツァーの伝記の小さな本を読む。30歳までは、音楽、哲学、神学の道を勤しもう、しかし、それからあとは、直接に人々のために身を捧げるのだ、という心のひらめきを着実に実行して、アフリカへ向かうまで。




2021.6/24
山の生活第6日。
朝に、レイチェル・カーソンの前書きを開いた。
夕に彼女の魂の系譜の著作を手許に列べた。只、シュバイツァー博士の本は無く、オルガニストでもあった博士の縁として、60年前に買ってもらった木のオルガンを偲んだ。






2021.6/23
山の生活第5日。
役場から山に帰る途中の西中野川林道。10年前からその盛衰を見てきたエゴマ。今は、林道登り口の道の端、落石集積場所に群落を作っている。
ネット上で長崎市の美しい山道の花の記事を見て、京大の論文の分布図も参照させてもらい、レモンエゴマであることを知った。その山道も鹿と出会うことが多いという。
鹿のせいで、植生が変わる度合いは、こちらが進んでいると思う。




2021.6/22
山の生活第4日。
滝本から旧道を登ってくる樫原道の地蔵尊の祠の上のヤマモモの老木も、今年は、小さな実を落としていた。
それにしても、樫原を南に下った西中野川の里の栽培種との大きさの違うことと言ったら。



2021.6/21
山の生活第3日。
夏至の日の夕日は、雲のヴェールに隠れて。
その代わり、山の家の西の端に立つ杉の巨木のもとに佇むと、串本の大島が見えた。ゆっくりとタンカーが航行し視界から消えて行った。



2020年3月9日



日めくりに目が行き、今日が、旧暦の2月15日と知った。
涅槃会に寿命が尽きることを願った西行が逝った2月十六夜の月。
西中野川林道沿いに咲き初めた山桜に、西行の最後の庵に後世植えられた千本を超える桜を偲んだ。


2019年11月



今年も狩場刑部左衛門の神社のお祭りが滞りなく終わった。石垣のセンブリの可憐な花も。


2019年10月



ガマズミ、フユイチゴの赤い実が熟した。


県道沿いの崖に今年もツルリンドウの青い色が灯った。


台風一過の夕空


2019年8月17日
台風10号一過の樫原から瀧本の杉枝の散り敷かれた県道沿いに、瓜坊、カモシカ、子鹿がよぎった。
最後にいつもの定位置に、黒さんが待っていた。皆、無事だったんだ。


2019年8月13日
1年たつのは、はやい。大泰寺でのお施餓鬼は、ことしは、台風前夜の中。供え物を施餓鬼棚の前に届ける。
人間以外の全ての霊を思うこの行事が好きだ。


2019年3月26日
満開の桜の背後に峯の山



2019年3月16日
思いがけない3月の吹雪



2019年3月11日
西中野川林道から満開の山桜越しに口色川の連峰を望む。



2019年2月14日
瀧本の黒さんと同胎のチャトランが逝った。窓ガラスに鼻面を擦り付けた跡。



2019年1月9日
新年の嬉しい発見。ルビーのルビーのようなフユイチゴの実。フォン・シーボルトも愛した植物だ。



2018年12月22日
温かい小雨の中、冬至を迎えた。


2018年11月1日
例年の如く狩場刑部座衛門の神社の祭が執り行われた。センブリの白い小さな花が咲き祭りのあとのローズピンクの夕映えが美しかった。







2018年10月
自宅の県道沿いにアケビや、サルナシが実り、椎の実も落ち始めた。今年は生り年だ。







2018年9月4日
台風21号、朝から夕方まで籠に車を停めて風の道を見ていた。

 
2018年8月29日
野分の後、実りの秋の予兆。





 

2018年8月25日
早朝樫原に入った。倒木も片付けられており、滝本まで行けた。

2018年8月23日
台風20号上陸に備えて、天戸をたてた。山犬の万は、餌を食べに来なかった。山の奥に避難したのだろう。午後から夜半にかけて風が吹き荒れた。

2018年8月13日
大泰寺、お施餓鬼供養の朝5時





2018年8月11日
盆を迎える夕空


2018年8月7日
立秋を忘れず涼風が立った。

2018年6月21日
夏至の夕日を惜しんで、瀧本と樫原を行きつ戻りつした。

2018年3月30日
大奥方のO.SACHIEさんが山を下りて行った。
「無理すんなよ。」の言葉を遺して。


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