日本犬科学研究室-日本犬資料誌『牙』-

ZIN 日本犬科学研究室
那智勝浦町色川樫原
TARO 人を犬に問う 自然史・文化史

日本犬資料誌『牙』No.3
     〜シーボルトのヤマイヌ・オオカミ・
         飼犬サクラ・シロ・アカ〜

2022.11/8
中の家のケヤキの黄葉を眺めながら、70代に入った私の45年前の論文抜刷を手に取る。
1877年大森貝塚を発見し、東京大学の動物学初代教授に着任後、ダーヴィンの進化論を初めて体系的に紹介したE.S.モースの足跡を、
貝塚研究研究史の第1頁と思って
大田区誌に書かせて頂いたものだ。
その中には、先史学の祖、ジョン・ラボックや、チャールズ・ダーウィンのことも触れてあった。1842年当時8歳のラボックは、父君から広大な敷地の隣家に期待していたポニーではなく、すでに有名人になっていたダーヴィン一家が引っ越して来たことを聞く。ロンドンの煤煙を避けてダウンハウスに終生こもり、
自身のコレクションの整理・研究を行った
ダーヴィンの、隣家への最初の訪問以来、
ラボック少年と25歳年上のダーヴィンは、
良き友として、ダウンの敷地の境界の散策路を毎日のように散歩した。
アメリカ東部メイン州のポートランド生まれのモース(1838-1925)と、ラボック卿(1834-1913)
ダウンハウスのダーヴィン。
高名な医師・博物学者の祖父と裕福な医師・投資家を父に持つ22歳のダーヴィンは、
1831年12/27、海軍の測量船ビーグル号に乗り組み、ポーツマスから5年の航海に乗り出す。
同じく高名な医師の祖父、ヴュルツブルク大学医学部教授を父に持つ
シーボルト(1796-1866)が、
長崎出島を出航し、
オランダのライデン自然史博物館に膨大なコレクションの搬入に成功したのは、1830年である。その時受け入れに立ち合ったのは、
シュレーゲルだ。
博物学を愛し、独学で地位を築いたシュレーゲルの軌跡は、E・Sモースへと連なって見える。
日本犬資料誌『牙』3号に拙抜刷を載せるのをお許し願いたい。



2022.11/2
シーボルトとシュレーゲルの
7自由科・音楽
シーボルトは家名を上げるという約束を果たすべく、
溌剌として愉快な教養科目の後、
専門学科として医学を修めた。
北ドイツのアルテンベルク生まれのシーボルトより8歳年下のシュレーゲルは、専門科目のなかに思う物がなく(父はシュレーゲルの望みの博物学だけは禁じた)、家業の黄銅匠の傍ら、独学で博物学を学び、ついに、テミンク館長からライデン自然史博物館に招かれ、1858年次代館長となった(『江崎悌三著作集』Vol.1,思索社,1984年,245頁)。1830年のベルギー独立運動に際して、ライデン大学の志願警備兵に身を投じ、研究職を離れている間、音楽を学んだという。
シーボルトにとっての音楽は、7自由科以来一生の伴侶だったと思われる。フォルテピアノを出島に持参し、日本の旋律の採譜も行っている(『新・シーボルト研究U』八坂書房,2003年,1~25頁 宮坂純子・宮坂正英)。
帰国当時ベルギーの独立運動の最中、シーボルトは持ち帰った日本の植物標本の保全に、
危機一髪成功した。
シュレーゲルが再び博物館に戻った時、帰国したシーボルトと邂逅し、交遊が始まる。
二人を結びつけたのは、音楽・音楽性だと私は思う。
先日、大学の語学の1年の時のドイツ語テキストに載っていた学生歌を、
クンツのドイツ学生歌大全集(キングレコード)に見つけた。
叙情的とばかり思って当時は、口づさんでいたのだったが。



2022.10/31
シーボルトのイヌのロマンの数式3+4=7
シーボルトのライデンに連れ帰った犬は
3頭であった、と、2000年の『大出島展』カタログ127頁のキャプションにあった。
また、1988年の『シーボルトと日本』のカタログ99頁には、ライデン自然史博物館には、全部で4頭の日本狼頭骨があると書いてある。
コレクションをもたらしたシーボルトと、
コレクションを受け入れた
ライデン自然史博物館員シュレーゲルを
意気投合させた共通項は、
7自由科(セブンリベラルアーツ)であったと私は感じている。
紀伊半島南端那智駅のヒカンサクラは、
春の訪れをいち早く告げるだろう。
それまでに、
シーボルトの愛犬サクラたちのことを、
少し詳しく此の『牙』No.3誌上で
書いて行きたいと思う。 (暖かい小春の宵にて)



「5頭のイヌの登場」
『牙』No.3で記載する5頭のイヌを紹介する。
山口隆男氏の記事に載せられたオオカミとヤマイヌのスケッチに衝撃を受けた(『どうぶつと動物園』1994年8月号)。
久我光雲氏の『アニマ』(1987年)には、サクラ・シロ・アカに比定出来るらしい挿図が載せられていた。



2022. 8/17
「大出島展のカタログより」
ことの発端は、
2000年秋に江戸東京博物館で購入した、
1600年4月19日最初のオランダ船デ・リーフデ号到着を記念した日蘭交流400周年記念展の
カタログだった。
久我和夫先生のライデン自然史博の剥製写真の
サクラ号の実物を見に帰京した折に購入したものだ。
カタログの126頁には、
サクラ号の剥製写真(3-2-9)の下に、
彩色の施されたサクラ号(3-2-7)のほかに、
二頭ずつの飼い犬の様子をスケッチした
作者・場所不明の図が、
掲載されている。
サクラ、アカ、シロが、
出島で飼育されていた姿を、
フランス系オランダ人で、
シーボルトの要請により1825年にバタヴィアから絵師として派遣された、
デ・フィレニューフェ(C.H.de Villeneuve)が
スケッチしたものと、私は推理した。
久我先生の資料の剥製と頭骨写真、
東洋文庫のシーボルト資料、
『ファウナ・ヤポニカ』、『蘭館絵巻』等を
根拠としての論証は、後に書くつもりだが、
取りあえず、
大出島展カタログより
サクラとアカ(3-2-5)
サクラとシロ(3-2-6)
シロとアカ(3-2-8)
3組のスケッチ図を紹介する。



2022.8/12
「ライデン自然史博所蔵品との
35年の縁」
旧暦七月十五日の今日、
シーボルトのライデン自然史博物館の
イヌ類所蔵品の研究の再出発を決意。
東京を起って熊野に入った昭和62年8月、
前年の秋にシーボルト学会で面識を得た
柴犬保存会の 故・久我和夫先生から、
素晴らしい贈り物が届いた。
『牙』2号のお返しにと、
ライデン自然史博物館に3日間滞在・調査した時のイヌ類の写真・ネガを送ってくださったのだ。
以来35年いつも心の通奏低音であった。
恐る恐る今日其を開いた。
この秋の時間をこの資料と共に過ごして行こうと決意した。



2022. 8/11
「シーボルトコレクション里帰り展」
ニホンオオカミ研究者八木博氏が教示された。
シーボルトコレクションの
里帰り展が来年、
シーボルト来日200年を記念して
開催されることになった、と。
それは、私にとっては、
ライデンにあるシーボルトのイヌ類資料をみる
3度目の機会になると思うと感無量だった。
1度目は、娘が生まれる直前に京都国博で。
2度目は、樫原にきた2000年に東京都博で。




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